新田の風とは
ごあいさつ
わたしたちは3年の歳月をかけ平成26年春、特定非営利活動法人 新田の風 を設立致しました。そしていよいよ本格的な活動を開始させていただきます。
まだ小さな風にすぎません。しかし、みんなで力をあわせてこの地に、そして周辺地区に、やがてはより広範に、さわやかであたたかいそして力強い風を吹かしてゆく所存であります。
ここにたどりつくまで大勢な方々のご支援とご協力がありました。今後ともさらなるご支援をよろしくお願い申しあげます。
NPO法人 新田の風 理事長 井 益雄
設立趣旨
わが新田地区の人口は2012年の時点で約4,800人ですが、5年前と比較すると400人も減少しています。子どもは減り、若者は流出し、お年寄りが残されている状態です。 なかでもひとり暮らしや高齢世帯が増えています。
かつての大家族制では家族間の支えで介護や子育てが可能でした。 しかし今やそのような支えが減り、お年寄りがひとたび入院すると病院や施設を転々とし、亡くなってようやく自宅に帰れるという方々が後を絶ちません。
住民・自治体・各種団体・医療や福祉の専門家が結束した「新田の風」は、もしご本人が望めばたとえ介護者のいないひとり暮らしや終末期であっても住み慣れたこの新田地区で暮らし続けられるような仕組み、 すなわち「安心して老いを迎えられるまちづくり」をすすめてまいります。 さらには、子や孫の世代もこの新田地区に住み続けたいと思えるよう「みんなが住みたいまちづくり」へと発展させ、近隣市町村および全国に普及できることをめざします。
役員紹介
役 職 | 名 前 |
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理事長 | 井 益雄 |
副理事長 | 宮島 渡 |
理 事 | 栗田 力 |
理 事 | 森江 宏 |
理 事 | 佐藤 友秋 |
理 事 | 小松崎 健二 |
理 事 | 飯島 俊哲 |
監 事 | 小林 誠 |
令和3年6月20日(日)開催 総会現在
風の吹きはじめ
特定非営利活動法人 新田の風
その風の吹き始めの動きに共鳴し、手を取り合った面々の思いを綴ります
- 家に帰りたい・・ (新田の風 理事長〉 い内科クリニック院長 井 益雄
- 風に吹かれて 〈新田の風 元副理事長〉有限会社飯島 取締役 飯島 伴典
- 風に巻き込まれて 〈新田の風 監事〉 風の谷の仙人 森江 宏
- 風に泣かされて 〈新田の風 理事〉 太陽力株式会社 代表 栗田 力
- 風の交響曲 〈新田の風 理事〉 海禅寺 副住職・幼保連携型 認定こども園 芙蓉園 副園長 飯島 俊哲
家に帰りたい・・・
NPO法人 新田の風 理事長 い内科クリニック院長 井 益雄
今から約30年前。病院勤務医時代の出来事です。日本はバブル期に突入していました。大量生産、大量消費、地価高騰、日本中が永遠に右肩上がりの繁栄が続くかの様な錯覚に陥っていました。 その裏では核家族化が進み、じわじわと人口の高齢化が忍び寄っていたのです。救急搬送される患者さんも高齢者が多くなり命はとりとめたものの介護を必要とされる方々が増えはじめていました。
当時の佐久総合病院院長若月俊一先生は「これからはお年寄りおよび痴呆症(この頃は認知症という用語はなかった)の問題が最も重要になる」と何度もおっしゃっていました。 私はその若月先生から老人問題の責任者をやれとの命を受け、佐久地域における24時間365日在宅医療体制を確立しました。 通院困難な退院患者さんのお宅へこちらから定期的に訪問し、急病時には緊急往診体制を敷きました。期を同じくして介護保険制度や老人保健施設も次々と導入されていきました。
制度は年を追う事に確立されていくものの、介護問題は厳しくなる一方です。日々家庭介護力は失われ家に帰りたくとも帰れないお年寄りが増えていきます。 「頼むから家に帰してほしい」「死んでもいいから帰りたい」「帰りてぇ!」私はこのような人生最後の願いでもある叫びを何度も耳にしてきました。 両手を合わせ、目に涙を浮かべながら懇願されることもありました。この方々の大半はお亡くなりになってはじめて家へ帰れたのです。
この問題に手をつけられず何が在宅医療だ!という良心の呵責が私の胸の内には長い間ありました。 ところが平成23年度から新田地区の住民の皆さんとの新たな活動で何とかなりそうだという予感がしてきました。 そもそもこの国民的大問題を“医療と福祉”だけで何とかしようという発想が大間違いでした。一番大切な“住民”が抜けていたのです。
地域住民と医療・福祉の専門家ががっちり力を合わせれば、家族だけの介護から家族も含めた地域全体で支える介護が実現できるはずです。これこそがNPO法人「新田の風」の目標です。
風に吹かれて
NPO法人 新田の風 元副理事長 有限会社飯島 取締役 飯島 伴典
私の職業は「薬剤師」です。父と母が作った薬局で生まれた時からずっと背中を見てきました。自然と体験している、誰かのために全力で生きている姿を見てきました。 薬剤師になり、生まれ育った上田に戻ってきて、薬局で働き始めました。両親の薬局は困ったとき、不安なときなど様々なときに地域の方々が相談にやってくる、そんな薬局でした。 平成16年ごろから地域に寄り添いたい一心で取り組んでまいりました。 そんな時、新田住民の医師や元銀行マン、地元の企業家やお坊さん、看護師、ヘルパー、ケアマネージャーや介護施設の職員さんが集い始めました。 「安心して老いを迎えられる街づくり」を目標として「風」が吹き始めました。
地域の皆様が病気などを寄せ付けない健康な身体作りのお手伝いが出来る薬局にしたい、そんな目標を向かって様々考えていた矢先に、たくさんの方とお話をさせていただき、大きなヒントをいただきました。 安心して老いることができる町にするためには「共助」の考えが大切な要素になってくることを学びました。 薬剤師ができることは、日常の「くらし」のなかで健康である状態を「見守り」、変調をいち早く察知できることです。 薬局に来ていただかなくとも、町の中で「医療」とは無縁の状況で顔色を感じられるということは、業務的ではなく、普通の暮らしの中で延々と、世代を超えて残せる最高の健康維持システムだと思いました。
町にはたくさんの人(資源)がいます。そして助け(求め)を必要としている人がいます。人と人が顔を突き合わせ感じあい、発する言葉(心)によってつながり大きな輪になっていく。 そんなイメージが沸いてきました。これからゆっくりだけど確実にこの「風」は地域住民を温かく包み込むと信じています。
風に巻き込まれて
NPO法人 新田の風 理事 風の谷の仙人 森江 宏
上田に平成27年4月に移住、新参者です。
その前の年、上田での仲間である木町薬局の飯島伴典氏より、熱っぽく「新田の風」の趣旨を説かれ「明日は我が身ですよ」と脅迫され会員に。
当時、自分の年も顧みず「行く先、なんとかなるさ」と誠に能天気な熟年でした。その後、縁あり上田に居を構え、なんと新田地区の住民に。
老生、前世は東京で広告関連に従事、柔らかい職史が珍しがられたのか伴典氏の父君、上田薬剤師会長飯島康典氏よりこれまた強要され「新田の風」役員に。 当初は「郷に入ったら郷に従え」の軽い心情でしたが、井理事長の深い見識、人間的な暖かいリーダーシップのもと、諸先輩の熱い想いに巻き込まれ、今や好物の「飲み会」も不義理にしがちの今日この頃です。
先に、91歳の認知症老人が起こした事故に対する損害賠償裁判がありましたが、我々が目指している「高齢者を地域で支える仕組み作り」が今や大きな社会のうねりとなっています。
今はまだ小さな風にすぎませんが、やがてこの「新田モデル」を広く世の中に・・・
燃えてます!!飯島親子さん感謝です。
風に泣かされて
NPO法人 新田の風 理事 太陽力株式会社 代表 栗田 力
新田の自治会館で、「地域医療」に関するワークショップがあるという事で、呼ばれ、あまり深く考えもしないで参加しました。自宅のお隣さんで、親しかった井先生が講演されていました。
以前、佐久総合病院に勤務していた頃、主治医をされていた、あるおばあちゃんのお話でした。 “開業医となったある日、件の病院からお願いの電話。独居で病気になってしまったそのおばあちゃん、どうしても入院治療を承諾しないで困っているという。 かつての主治医であった井先生であれば話を聞くと思うので説得して欲しいとの内容。井先生は内心、入院を勧めるのは良いけれど、おばあちゃん、二度と自宅には戻れないかもしれないと思ったそうです。 弱ってしまった身体で一人暮らしを続けるのは厳しい、薬の服用の管理も難しい。誰も身寄りもいないし、近隣の方にお願いする方策も無い。辛かったそうです。本当に入院を勧めるのは辛かったそうです。 それでも井先生の言う事を最後には聞き入れてくれて、病院に入ってくれたそうです。・・・でもやっぱりおばあちゃんは、2度と自宅には帰ってこられずそのまま病院を転々としてお亡くなりになったそうです” ・・・地域で、近所で、このおばあちゃんを支える何かが在ったら、おばあちゃんは長年住み慣れた自分の家で、思い出いっぱいの自分の家で最期を迎えることが出来た筈です ・・・そうお話になる井先生が100名近い聴衆を前に男泣きに泣いてしまわれました。私は、胸がいっぱいになりもらい泣きしてしまいました。
井 益雄・・・この男は本物だ!とそう思いました。過日、地域包括ケア(その時はそんな言葉ではありませんでしたが)推進のNPOを作りたいのだが力を貸して貰えないかと依頼された時、即座にOKをして、今日に至っています。
「安心して老いを迎えられるまちづくり」井先生も本気なら、私も本気です。
風の交響曲
NPO法人 新田の風 理事 海禅寺 副住職・幼保連携型 認定こども園 芙蓉園 副園長 飯島 俊哲
かのマザーテレサは、「愛」の対義語として「無関心」を説きました。これによれば、「愛」の一つの側面を表現するなら、それは「関心を持つこと」とも言えるかもしれません。 私たちNPO法人「新田の風」は、安心して老いを迎えられる地域を皆で作り上げようと発足しました。
インターネットが普及し、スマートフォンが広く使われるようになった現代社会において、私たちは自分が好み求める情報を意のままに手に入れ、遠くの友人知人とも簡単に連絡がとれるようになりました。 しかしそうした便利さの一方で、私たちが本来一番身近であったはずの近隣に住む人々、「地域」の存在が希薄になってきています。かつての地域社会では、「遠くの親戚より近くのお隣さん」と頼り助け合う風景が日常的にありました。 しかし物や情報が溢れ、あらゆる利便性が極まった感のある今、地域の力は、そして身近に住む方たちと私たちとの関係性はどうなってしまったでしょうか。
国が作り上げた「老い」を支える仕組みが破綻しつつある現在において、私たち「新田の風」は、今一度こうした地域の身近な人と人との関係性を結び直し、あたためなおすことで、 皆が笑顔で自分の人生を全うできるようになることを願い、様々な活動を模索の中で展開しています。
さて、こうした「新田の風」の取り組みに参加することで、私の中で起こった大きな変化があります。 それは、「地域」とか「みんな」という言葉の表現を使った際に、頭に浮かぶ具体的な顔が今まで以上に増えたことです。 また近所を歩いていても、車を走らせていても、挨拶を交わせる方が大勢できました。 インパクトの強いイベント活動などにも力を入れていますが、それと平行して、派手さはなくとも、地道で温もりのある人と人との、顔をつき合わせたやり取りを重ねていくことは、 いざという時に大きな力を発揮するかけがえのない源になるという信念を持っています。
人と人との善意のネットワーク。自分を超えた自分自身のために、“皆”と手と手を取り合って、豊かな人生を奏でていきましょう。